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生存戦略が独特に進んでしまったなと、病院の待合で考えていた。

仮説ではあるけど、生きるために頭の回転を特化させて、身体を犠牲にした。身体を犠牲にしつつ、愛嬌があるように振る舞うのは生きるための脳の信号なんだろう。

この10年は何かしらの不調がある日々、元気な日は存在しない日々を生きているんだけど、蔑ろにされずに生きているというのは生まれ持ったセンスなんだろうなと思う。

なんとなくずっと周囲からチヤホヤされて、認められて、気にされて、嫉妬されて、変な人生。それを振る舞ってるのは自分なんだから、きっと無意識下でなにか意図はあるんだろう。

 

コロナ禍後半から感情が薄くなって、鬱が再発したような状態。もちろん薬は飲んでいるし、通院も欠かさない。慢性疲労症候群様症状も強くて、脳の回転が鈍くなって文章の組み立てが下手になった。言語表現への影響が出た。人からの言葉が処理できないことも多々ある。

好奇心や欲求も薄くなり、人への興味が急激に落ちた。音楽が聞けない、イヤフォンの閉塞感を強く感じるなど感覚神経の過敏状態、大好きだったエンタメも楽しく触れられない、自分を違う世界に送り込むためにドラマは見られるようになった。人間に対しても似た様な状態で、どうでもいいとさえ考えることもある。

 

この時期に30歳の節目を迎えたことからか、浅く見える人間に厳しい目を向けてしまう面が出てきた。おそらくこの30年自分が頑張っていたと自負する内容に関して、怠惰から逃げていた者が苦しみを露わにし、さらに甘えた態度を見せているように自分が受け取っているからだと考える。

因果応報に気付いているのに、気付かないフリをしてさらに逃げようとする自制しない人が苦手なのだ。

自制できないのは脳の問題のことが多いだろうが、単純に選択として自制しないのはお前の責任だろと思う。言い訳して自制をしない、結果悪循環に陥る。因果応報。悪循環の何周目かに入り抜け出せなくなってから、SOSを出さずにふんわり甘え始める人が視界に入るとトドメを刺したくなってしまう。トドメを刺す労力がもったいないからやらないが、自分の攻撃性は自覚があるので気をつけなければとは思っている。