9/19

無意識に甘えが出ているのか、過去の自分を抱きしめるための話をしてしまう。
同性じゃ解決しない域の話で、自分の警戒心の緩みを感じるということを一晩経って自己分析して、またこれも伝えてしまうんだろうな。
ネットの海にすら放れなくて、抱えて、傷は治りきらず痛み続けて、たまに泣いて、普通への憧れが捨てられないただの女の子がまだ自分の中にいるのは確か。

 

世に言う男女の関係になるまでに至る、思考の流れがわからず回顧し、空想する。

 

「油断してもいい、限界のラインを持ってて」彼はそう言う。わたしとどうなりたいと考えるのか全く読めない。

とりあえず、限界のラインについては考えてみた。接触が嫌なのではなくて、その説明ができないで欲で押し切る人が嫌だ。行動原理を知れば受け入れられるかも知れないという予感。それと、隣で眠れるようになるまでは進度をゆっくりにしてもらう。傾向と対策をまずは試して。そこから発展させるのか考えるというのが、おそらくわたしの脳に刷り込むには良さそうな気がする。

 

わからないことを解決しないと、不安なんて増幅するのみだから、手間はかけさせるかもしれないけど、前向きにだけ考えていることを次会う頃には伝えられたらいいなと思う。

9/18

 

大人になってから自分の発達障害を疑ったことがある。仕事上の疎通がうまくいかなかったり、意図がわからなかったり、噛み合わなかったり。苦しくて苦しくて泣いたし、心の不調は全部身体に出た。

 

常にわたしの頭には言葉が溢れ出ていて、ぐるぐると渦巻くように流れ続ける。

 

人と会うと良くも悪くも言葉が増える。思ったこと感じたこと、とにかく全部が回想されて文字になって浮かんでくる。

 

中学時代親友とやっていた交換ノートに、自分は人の倍沈むという話をしたことがあったが、今考えればネガティブな要素だってフルで回想するのだから2回落ち込むから単純に倍になる。

 

人との言語感覚は少しズレてるかもしれないと思いながら生きてる。自分の思ったまま話すと、論理の飛躍を起こす。だからうるさいくらいに詳細を説明するようになった。

 

もっと上手に話したいと思うけど、好きな人みんなに伝わることを心がけるからスパッと話を終えられる日はまだ遠そうだ。

 

文章量は多くても、暑苦しくない40度のお風呂を目指して言葉を綴り続ける。

好きな人を笑わせたいし、真面目な話もしたい。愛が伝わるように、いつだって丁寧に。言葉で誰かが救われるなら、それでいい。

9/5

人に興味がないって言われて納得したっていう彼。ほんの少しの過去を聞いて、その側面が一瞬見えた気がした。

 

本質的な興味がないのなら、わたしも同類。その人に興味があるんじゃなくて、そういう思考の人の回路が気になる。いろんな人のエンジンが見てみたいという、若林さんの気持ちにもしかしたら似ているかもしれない。

正直な話、浅めな友達でも思考が読めたりするから、正解ではなくても推測で思考回路を辿ってみて納得したりする。ほんの少しだけ齧った心理学、あまりに深く知ると感覚が鋭利になるからやめた。自分を傷つけるし、相手も傷つける。

求められてない正論と核心は、時に致命傷を与える武器になりうる。

 

 

8/31

大好きな友達の誕生日。おめでとう。

 

 

 

夏の終わりを感じる和らいだ空気に変わる8月末、数年ぶりに地元に帰る。

 

10代死にたくて死にたくて泣きじゃくって生きてた記憶がある地元だから、大好きな友達がたくさんいるのに遠ざけてきた。

いちばん人生から逃げたかった場所。

勉強も友達も恋愛も全部全部、不満なんか全くなくてむしろうまくいってるくらいだったけど、日々の不安と希死念慮。自分の意思で選べない家と家族が地獄。

 

死にたさも通報したい気持ちもひとりで抱えて、田舎の特有の監視的な視線と束縛に耐えて、倫理と理性で生き延びた自覚がある。

 

だから死なないために逃げた。わたしを救ってくれた、大好きな音楽を創ってくれるひとを支えることを仕事にして生きてみようとした。

結果としてそれは上手くいかなかったし、少し音楽からは遠のいてしまった。

でも今、ほかの大好きに囲まれて生きている。まだ日々を生活することは苦手で、生き延びるのに精一杯だけど、少しだけ光が見えてきた。

 

ここに来るまで干支一周。生きてる3分の1以上かかった。心を蝕む原因はわたしの意思で消すことができないから、消えるまでは遠ざけて生きるしかない。

 

今の自分が好きだから、もう嫌いになる理由は増やしたくない。ずるい駆け引きで甘えないで、素直に甘えられる人のそばにいたいし、好きな人に優しくいたい。

 

わたしを大事にしてくれた友達の手を離さないで、ちゃんと遠くても繋ぎ返せるように維持する努力は惜しまない。

 

気持ちが震えず泣けなくなって10年経ち、やっと最近涙が出るような感情がわくようになった。長かったね。

 

 

 

大事に思うんじゃなくて、大事にする。伝わるだろうと思わないで、ちゃんと伝わるように言葉にする。言葉を受け取る気がない人にはもう言葉は送らない。

白黒じゃない、グラデーションの日々を受け入れる。

 

 

 

好意は隠さない。

 

 

8/12

朝目が覚めてから混乱で泣いた。

 

昨日は少し遠くに住む元同僚と何年振りかに会って、ごはんして喋り倒し帰ったのは0時近く。

楽しい気持ちはその後に寂しさや人恋しさを連れてくるからか、非常に消耗する。1週間の疲れもあって、髪を乾かすこともできずに寝落ちてしまった。

 

朝わりと早くに目が覚めて、考え事をしながら混乱して泣いた。早朝に泣いていた。

悲しくて、つらくて泣くのは久しぶりだった。

 

やはりひとつの共通言語がないというのは、この先苦しくなる可能性がおおいにあるなと実感した。

 

あれだけ凝り固まっていた悲しみが、不意に涙に溶けたのは何か変化が起きているからな気がする。自分の中で化学反応が進むのはいつぶりだろうか。頭で解釈して、頭だけで進むのは楽だけど楽しくはない。もちろん苦しみも伴わないのだけど。

8/5

比較で、あそこまでじゃないから大丈夫と考えることをやめなければと思う。

 

物語にしろ、他人にしろ、わたしの経験とは別物であるから、自分のトラウマを脱するには自分の世界のみでの話に変えないといけない。

 

生きてる半分以上の間、昔の彼氏がよぎる不快感は異常だと思う。トラウマの原因になった内容があまりにライトだから、ずっと自分が悪いと思いながら生きてきたけど、それに支配されてわたしの生活が脅かされるのは違うよなあ。

 

やっと断ち切れたんだから、いい加減ちがう方を向きたいし、記憶に上書きをちゃんとしないとなあと思う。

 

でも自力での上書きは少し難しいから、協力者が必要になる。

愛着のある電話番号も変えるべきだったんだろうけど変えずに来てしまったし、連絡も無視したらよかったのに、恐怖と惰性ですこし返してしまうから長引いた。

 

まだわかんないのよ、わかんないって言っていいかもわかんない。

手を繋ぎたいの意味とか、好きより先の感情に付随する欲望とか。

 

鈍いならよかったのに、ってさすがに思う。ここまでわかんないというのは、待ち合わせてない可能性の方が高い。

 

持ち合わせてない人間が、普通へのチャレンジをするのはなかなかにハードルが高い。

 

強制終了系のお薬を飲み始めた頭でふやふやと綴ってるこれが、明日読んで意味のわかるものになるのかな。

 

ただ好きな人と、隣り合って笑ってたいだけなのに。見えない障害物が多すぎる。

そして曖昧な好きを確信に変えない限りはなんのこっちゃ平行線。

8/3

休みを取って通院して、思いつきでカラオケに行き、前回お茶をご馳走してもらったお返しにコーヒーを買い、思いつきで縁結びで有名らしきお宮さんに行った。初詣せずに半年が経過してたのを行ってから思い出した。

 

たくさんの人から守られてたはずなのに、あるひとりの衝動で破壊されてから狂った歯車を直す気になったのかもしれない。

 

前に行ったら縁切り縁結びは、ちゃんと今の仕事につながっている。だから少しだけ信じてしまう。

 

おみくじを引いたら大吉だったのも、大吉の内容がとても良かったのも、なんとなく安心した。よかった。

 

気休めでしかないけど、壊れてる自分に自信あるわけなんてないから、そのままでいられるように祈ってきた。ちがうならちがうでいいんだ。でも踏み出す一歩を認めてほしくて、決意の意味も込めて参拝した。