危機感が足りてない、つねに。
距離感がわからない。自分にその気がないから気づかない。
心配されて不安になられてなんでだろうって思うのは、いつもわたしに危機感がないから。警戒心のかけらもない。
あの日のトラウマから逃げるために、上京と同時に異性を意識することをやめた。ひとから恋愛対象と思われるわけないと思って生きるようになった。まさか自分のことを好きになる人がいるわけないと本気で思って。
性別を気にしないで人と関わるようになった。説明の便宜上、男友達というものはあるけど距離感は女の子と変えなくなった。逆効果らしい。
世の中的には区別するべきだったようだ。女の子の友達から、勘違いされるよって注意されて気をつけるようになった。やっと人並みに手が届きかけた。
でも習慣化されたものを変えるには時間がかかるから、動いてからじゃないといまだに気付けないことも多々で。
みんなすごいなあって思う。誰かといることを選べていいなとさえ。
ひとりで過ごすことが平気すぎるのは、おそらく幼少期から機嫌を伺いながら空気を読んで生きなければ危険だったから。危険のないひとりの空間は不安がなくて楽。
敏感じゃなきゃ生き抜けなかったから、今だってその名残の中生きている。
危機感がないのは、子供の時よりよっぽど安全だから。最悪のパターンが起きたって、わたしのことだけでいい。世間体のしがらみのない終わりなら、気にならないんだろうな。田舎の近所の目線の関係ないかわいそうなら、受け入れられるんだと思う。だから、無頓着になってしまった。
現実味を帯びない異性関係を繰り返すのは、自分の存在する家庭というものに肯定的な感情を持てないから。機能不全家庭の子供の行く末。悲しみを繰り返す必要はないよねって思う。
たまに人を好きになって、その事実だけでじゅうぶんなのは、その人の幸せの理由になる自分が見つけられないから。一緒にいられたらうれしいけど、終わりが来るなら始めなくてもいいかなって思ってしまう。
誰かの不幸せをつくるくらいなら、自分の幸せは別で探す。