12/19

 

年末がすぐそこにきて、体調がぐずぐずと悪くなる。

 

自己免疫系の痛み方するもんだから、縦でいても横でいてもつらくなってきた。

 

うつ状態が強くなると、気持ちの前に体がやられる。起きられない、そしてとにかく筋肉の過緊張から背中が痛い。ついで食欲が落ちて、エネルギー不足で無気力に。ない体力を余計に消耗しながら生活する、自己免疫系の痛みが出る。ただただ痛い。

 

うつのわりに、うつはつらくない。そりゃ希死念慮もあるけどそれは子供の時からだし、脳のバグ〜って過ごすから死とは向き合わない。ひとりでいると一言目に浮かぶ言葉は常に死にたいだけど、普通に当たり前に死にたいけど、そこまで気は病んではない。

気が病んでたらそもそもこんな冷静に自分を観察しない。ある種病んでるのかもしれないけど、そもそもの性質のままだから自分さえ研究対象。

 

日中は薬である程度は鈍麻させるから、刺激から乖離する。あくまでもある程度。刺激をキャッチしないように薬は必要。

 

感覚的に、今の頓服のロラゼパムより前の頓服のブロマゼパムの効きの方が好きかもしれない。

 

たぶん精神力はある方だと思うけど、そもそものキャパを別に使う必要があってそれで命を繋いだから、自分の意思と違うところで生きてる。

今世はやくおわんないかなぁって、ちょっと、ううん、ずっと思ってる。

今世っていうか、星丸ごといかないかなーって中学生くらいから。

 

わたしのピークは25-26歳だなって、よくカメラロール見ながら思う。若さで許されるのはあれくらいまでだった。体が弱くて、うつの症状で怖くて外出できない日があって、引きこもって泣いてたって、若いからなんとかなった。別に戻りたいわけじゃないけど、年齢と振る舞いと知識に、どこにいたって警戒されないちょうど良さがあった。

 

さすがに歳を重ねたら許されないことが増えるし、自分で自分を許せないから無茶もできない。開き直りとしがらみが同時に生まれている。

 

あの時みたいに無垢に笑いたい、知らないから笑えてたことがいっぱいあった。

20代の夢と現実の狭間にいられた大事な時間に出会えた友達は、無条件に応援してしまうし、大好きなままだ。趣味の場で出会う人は性別の垣根を簡単に超える。性別に関してはわたしが勝手に取っ払ってるから相手の気持ちは知らないけど。

 

わたしの中ではいつだって、何かをしている誰某。気づいた頃には男女分けは苦手で。危険回避のために関わらない層はあるけど、それだって結局男女というより一緒にいたらしんどい人を避けるから、帰結するのは個の存在なんだよなって思う。

 

 

ずっと同じところをぐるぐるループして、文字に起こして反芻して、すり減ってる自分を見つけてもうまく抱きしめてあげられない。

ずっと言葉にしちゃダメだと思って抱えてきたことが、今になって自分を傷つけている。20年近く抱えてしまったから手放し方がわからない。言葉にして可能な限り体内から出すように意識している、いまできるのはそれだけ。

 

12/15

 

危機感が足りてない、つねに。

 

距離感がわからない。自分にその気がないから気づかない。

 

心配されて不安になられてなんでだろうって思うのは、いつもわたしに危機感がないから。警戒心のかけらもない。

 

あの日のトラウマから逃げるために、上京と同時に異性を意識することをやめた。ひとから恋愛対象と思われるわけないと思って生きるようになった。まさか自分のことを好きになる人がいるわけないと本気で思って。

 

性別を気にしないで人と関わるようになった。説明の便宜上、男友達というものはあるけど距離感は女の子と変えなくなった。逆効果らしい。

 

世の中的には区別するべきだったようだ。女の子の友達から、勘違いされるよって注意されて気をつけるようになった。やっと人並みに手が届きかけた。

 

でも習慣化されたものを変えるには時間がかかるから、動いてからじゃないといまだに気付けないことも多々で。

 

みんなすごいなあって思う。誰かといることを選べていいなとさえ。

 

 

ひとりで過ごすことが平気すぎるのは、おそらく幼少期から機嫌を伺いながら空気を読んで生きなければ危険だったから。危険のないひとりの空間は不安がなくて楽。

敏感じゃなきゃ生き抜けなかったから、今だってその名残の中生きている。

 

 

危機感がないのは、子供の時よりよっぽど安全だから。最悪のパターンが起きたって、わたしのことだけでいい。世間体のしがらみのない終わりなら、気にならないんだろうな。田舎の近所の目線の関係ないかわいそうなら、受け入れられるんだと思う。だから、無頓着になってしまった。

 

現実味を帯びない異性関係を繰り返すのは、自分の存在する家庭というものに肯定的な感情を持てないから。機能不全家庭の子供の行く末。悲しみを繰り返す必要はないよねって思う。

 

たまに人を好きになって、その事実だけでじゅうぶんなのは、その人の幸せの理由になる自分が見つけられないから。一緒にいられたらうれしいけど、終わりが来るなら始めなくてもいいかなって思ってしまう。

誰かの不幸せをつくるくらいなら、自分の幸せは別で探す。

12/11

いろいろ動いているわりに、あっさりと無に帰する。

 

ちゃんとしなきゃという気持ちはあるし、真面目な方だと思う。真面目だけじゃダメなこともわかってるんだけど、自分の快を考えれば真面目がいい。

 

原動力は好奇心で、少し飽きっぽい。飽きっぽいというか、突き詰めるまでは飽きないんだけど、それ以上深く掘れないことに気づくと冷めてしまうことがある。

いまは好奇心がわく隙のないくらい、心が重たく潰れている。しなやかさが足りない。

 

一時期の食欲不振は半年ほど続いたけど、鬱の訪れと共に軽くなった。食べられるようになったからマシとするか、鬱の波が来てやばいと考えるか。

わたしの体重が増え続けた原因は飲み続けてきた薬が原因と推測するけど、そもそも体質としては太りやすい。

18歳以降の体重の上下それぞれのピークの差は約30kgにもなる。

感情の起伏が少なめの反動なのか、体に全部出てしまうのはどうにかならんものか。

 

地面ギリギリの低空飛行で、慢性的な自傷行為のような生活をするのは結構つらいものがある。どうせ自分を傷つけるならもっと大胆に動きたいものなんだけど。

 

うすぼんやりとした希死念慮がつねに付き纏っている。薬を飲んで寝て起きて、また昨日の続きが始まるの。

 

安全基地を探している。ひとの温かさが不安を煽るならひとりでいたほうがいいのも気づいている。

12/10

 

某アプリで話してる人にわりと強めのアプローチを受けている。これから会う予定という奇妙な順序で。

 

写真でモテそうと言われ、通話してかわいいと言われだいぶ混乱している。これがチャラさのあるテンションなら逃げられるんだけど、ガチな感じでこられていて大困惑。

 

いまはホストやってる当時バンドマンだった人に、かわいいと言われた昔を思い出す。会話レベルが当時低く、そんなことないよ〜と謙遜をしたら、「性根が腐ってる。俺がかわいいって言ってるんだからかわいい。」と言われたんだった。それ以来そんなことないとは言わなくなったんだけど。

 

褒め言葉なのかその場しのぎなのか、はたまたノリか。話のテンションとか、流れでだいぶつかめるようになった。キャラ的にかわいい扱いはしてもらう方だから、ぜんぶを真正面からくらうことはないはずなんだけど、こんなにも免疫がなくなっていたかと自分に落ち込んだ。

 

ちゃんと異性扱いされることに戸惑いがありすぎて、そもそもの性自認がちょっとブレている気がする。これは自分の中でずっと地味に問題なんだけど。

性欲を向けられた時に狼狽えてしまうのをどうにかしたいのに、結局怖くてさめざめと泣くことしかできないのだ。

考えれば眩んでしまって明け方まで眠れず、自分の弱さを悔いることしかできなかった。

好きになった人がどれほど優しかったのか、自分の見る目があったことにだけ焦点が合う。好きなタイプの振る舞いを考えながら置かれてる現状を見ると、しくしくと涙が止まらなかった。解決することはなく泣き疲れて眠っていた。

 

単に自分が視野に入ってない可能性は大いにあるけど、どんな性質を持っているかを話した上で好奇の目で見られることもなく、わたしのままとして接してくれるのは嬉しいものだった。慕ってしまうに決まってる。

ちゃんと最初から予感はあったのだ、好きになるという。直感は冴えている方だから、理性的なうちにすべて課題はクリアして、感情に従っていいかの判断をした。

 

わたしにとって、彼氏をつくることより恋愛的に好きになることの方が難しい。いつだって好きになることに意味がある。付き合うとかは正直な話、わたしが求める立場ではないとさえ考える。

 

 

 

 

付き合えるか付き合えないかの判断は引き返せるうちがいい。もうすでに結構好きだから、ダメならダメで早く振って欲しいという言葉。

合理性はあるが、それは彼にとっての合理性であって、わたしには正直関係のない話だ。まあ、一緒にいるのが憂鬱になるような人だったらすぐ遠ざけるんだけど。

 

好きを思い出したばかりのわたしには結構なハードさを含むことに、わたししか気づいてない。実際会ったらわたしにどういう目を向けて話すんだろうという興味。好奇心で会うことが、自分にとってほんとはよくないのはわかっている。でもこの脳の処理が落ちてる時に、よく知らない人を文字上で判断することなんてうまくできないから感覚的な反応の方が楽だなと思ってしまう。

 

危険に身を置くつもりはないが、年内にひとつ決着をつけなきゃいけないようだ。どうにも、久しぶりにどストレートなひとに遭遇している。どう転がるのかは全くの謎である。

11/23

やっとスケジュールが合わせられて、お客様と会えたのが11月の約束のひとつめ。

 

9月10月にたいへん予定を詰め込み、リスケになった予定の生き残りが今回。

 

東京現代美術館でやっていた、TOKYO ART BOOK FAIRの初日。なかなかにハードな1日で、12時に待ち合わせしたのに会えたのは12:30過ぎ。合流できないんじゃないかとさえ思った。笑

なんせ、ぼーっとしてて電車降りそこねちゃう誘ってくれたその人。

わたしよりよっぽどその土地に降りてるはずなのに、出口をわかってないその人。

芸術的な才能の意味で、感覚で生きることってこうだよなと思った。

 

ずっと店員とお客さんだったのに、外で会うの初めてだったのに、いきなりの結果として12:30-22:30の長丁場。チャレンジャーすぎる。

まあ、乗ってしまうわたしもわたしなんだろうな。

 

現代美術館と聞いてクラシックで高尚なかんじをイメージしていたイベントだったけど、思ったよりわかりやすかった。価格が攻めの姿勢なだけで、思ったよりポップだった。

 

刺激も強かったけど。

右も左もセンシティブとかなかなかだった。LGBTQに切り込むようなものがあったりして、表現の自由を目の当たりにした。刺激が強いのは海外の方ばっかりだったけど。

私写真ってジャンルがはじめてで、これがいちばん刺激が強かった。一緒に行ったその人がこれはちょっと見せられないって眉を下げてわたしに伝えるくらいには。

過激というには言葉が軽すぎるそれは、心の中に留めるしかできない。わたしにはないものがいっぱいあった。

 

ほぼ時間いっぱいをそこで過ごした。一度見たブースに戻り、またそこから話が膨らむ。

 

帰りには疲れ切って、黙ってしまうくらいにエネルギーを使った。学びが増えた。

 

10/25

大好きなバンドのボーカルから、弾き語りでライブに出るよと急な連絡が来て会いにいった。

 

最近はもっぱら彼の声に元気をもらいながら生活してる。すごく好きな声だけど本人は自信がないらしい。

 

ホールの重いドア開けたら、リハの音出しから間に合って、気づいてくれた雰囲気を察して来たよの意味の手を振った。手を振りかえしてくれると思わなくて、ちょっとだけ特別みたいでわくわくした。

 

リハ中にお酒飲むことを決意して、バーカンにとりにいく。仕事後の空きっ腹だしなーと甘めなカクテルを選んで飲みながらみていた。

 

わたしがリアルタイムで知らない曲からはじまって、そのあとは好きな曲が続いた。わたし自身にもう歌詞は染み込んでいるものだから、正直何を聴いたってすとんと落ちる。

 

弾き語りでも叫ぶように歌う姿に、何か救われた気がした。

終わってからありがとうと寄ってくる彼に、わたしがありがとうなのにと思ったけど言葉に出さずにしまいこんだ。

 

いつもは酔っ払いきっている彼だけど、翌日のスケジュールがあったからそんなでもなく。相変わらずステージドリンクはワンカップだった。

 

流れなんて忘れちゃったけど、ホールで恋バナして音出しがガーンとくると耳元に手を添えて会話して、ギャルには相手されないとか言って。まーわたしもギャルじゃないしな〜なんて考えながら喋ってた。

 

そのときも、「会話」ができない人の存在について話したりもした。それで成立して生きてきたから可哀想だなんて表現を彼はしていたや。幸いなことにわたしも彼も言語感が似てるのか、一緒にいても会話には困ったことがない。

 

その後バーカン前に移動して話していたのは、昔好きだった人の話。わたしがその人は結局どうなったのか聞いたら、難しい顔をして「結婚した?みたい?よ?たぶん?」と歯切れの悪い返事が返ってきた。わたしが片思いしていたことも知ってるし、彼のバンドのお客さんと付き合ったこともあったり、ちゃんとは報告はされてないようで濁したのかななんて。付き合った女の子も知ってるけど、もう会えないんだろうな、なんて思ったり。連絡したら返ってくるのかな、恋愛絡みで同性の友達が減るのはいつだって寂しい。

 

大人の事情もあるし良きように帰ってなんて言われて彼が片付けに行き、わたしは目的を果たして持て余した時間に耐えられず、バイバイも言わずになんとなくぼやっと帰ったら帰り道にLINEが入った。

気をつけて帰ってね、毎回そう言う彼にわたしはどう見えてるんだろうね。

 

次は12月だよってスケジュールを教えてくれたから、また懲りずに会いに行くんだろうな。

正直なにが聞きたい?って訊いてきた彼に、出会った頃より柔軟さを感じた。たまたま変わろう変わろうって努力をずっと見てきたからなんだけど。104が大好きなことだけはちゃんと伝えたけど、正直どれも好きだよ。しっかりがっつりお酒が回ってないと人見知るのも気づいてるよ。笑

 

バンドルールを一応知ってるから、礼儀としてライブハウスに顔を出す。まだこれからもきっと続く。

10/3

 

どれだけ好きだと思っていたって、ほんとひとつの出来事で水をかけられたように冷めてしまったり、付き合わないと思っていたって気の迷いで付き合って3年くらい一緒にいることだってある。意図して落とせばストーカーだって発生する。

 

だから全部、ほんとは大袈裟に考えなくていいんだろうなとは思うんだけど。

 

ともに歩んできた友達がそれぞれの道を選んでいるのを見ていたら、わたしももう1度くらいチャレンジしてみてもいいかもなとか。

契約上の番に憧れを持てない、本来なら自然淘汰されてたであろうわたしも、生かされてしまったんだからもう少しいろいろ知ってみるのもありかもしれんなって。

 

踏み込んだ相手が正解なのかはまだしばらくわからないけど、とりあえず恋愛風なのが楽しいからそのまま楽しくいたい。

 

どうしたらいいの?!とか、きゃーきゃー言ってる自分を面白がってる自分もいたりして、自分の顔がいくつもある自覚もある。

 

人として気になってても、なにも発展しなくても仕方ないことは、覚悟の上。

 

ただ思いもよらぬ横槍で、無自覚の自分はぶん殴られてしまった。

乖離した体と心が不一致するとはこういうことなのかとたまに考える。

女であることが嫌なわけでなく、体の機能が女であることが不思議でたまらない。

自分の体にいまだに慣れていないのか、ちょっといろいろ健診はつらいってだけ。